ちょっと北海道行ってきた。

北海道旅行〜江差へ〜

2013年8月3日夜から8月8日にかけて大規模な乗りつぶしをしてきました。18きっぷの他、必要なところで特急ワープをいくつか使用しています。

0日目

・0-1 広島BC→大阪駅BT 青春ドリーム広島 中国JRバス
この旅では最初から高速バスを利用します。大阪から始発で出ないと乗りつぶしに支障が出るためです。広島バスセンターからのったのはいいのですが、4列の通路側で、西条を出てもなお眠れませんでした。ちょくちょくバスが従業員休憩をすると目をさまし、いつのまにやら気づくと大阪の都市高速を走行していました。大阪駅到着。依然眠たいままです。
まともに大阪駅に降り立ったのは久々ということで、ノースゲート側のバスターミナルから駅に入ると正直綺麗さに驚きました。

1日目

・1-1 大阪→京都 207系 普通
この時間、5時台はまだ快速や新快速が運転されていないため、とりあえず京都まで向かいます。いつもこの区間は新快速に乗っていたので普通に乗るのは初めてでした。早朝だけあってすれ違う列車はあっても、貨物を除いて乗車列車を追い抜く列車もなく、向日町には編成をとかれた583系や緑の113が留置されていました。ああ…そして車内には大荷物を持った方がいました。見たところ大阪から東京まで家族で普通で行くとのことです。ちなみに私は中央線経由、おかげさまで大阪を朝に出るのに東京には夜についてしまいます。バカです。はっきり言ってバカです。
・1-2 京都→米原 225系 普通
ここでまさかの225系。福知山線に転属になったものが多く、結果本線での車両数が少なくなってしまったので久々に乗ることとなります。京都を出て、草津あたりでついにダウン。夜行バスの呪い?で気が付くと彦根でした。米原手前で右に近江鉄道の高架を確認し米原に着。乗車しているとそのまま長浜に連れて行かれるので下車。ここからは普通に広島から出ると昼過ぎになるJR東海区間です。なんとまだ朝です。すばらしい。広島から出るよりも時間を有効に使えます。広島から出ていたら午前中に115系の洗礼を浴びてもうグロッキーですから…
・1-3 米原→大垣 311系 普通
なんと来たのは311系。313系や117系は散々乗ったことはあるのですが、311系は初めてです。九州の811系や西の221系のようなJR初期の車両で、それらしい豪華なインテリアでした。車内にはLEDもきちんと装備しています。さて、折り返しで発車し、垂水でしらさぎの通過待ち。朝早いのですがこのしらさぎはもう北陸から来たのでしょうか。金沢から?関ヶ原からは通称垂井線を走行し、大垣に到着。向かい側のホームで、人も少なく特に大垣ダッシュとかはありませんでした。
・1-4 大垣→岐阜 313系 新快速
ここからはやはり313系です。安定ですね。乗車したのは全席転換できる5000番台ではなく、0番台でした。中央本線経由で東京に向かおうとしているので、普通に考えれば名古屋まで乗車します。しかし愛・地球博の時に高蔵寺までは乗っているので、その代わりに太多線に乗って多治見から高蔵寺往復をして中央本線を完乗してしまおうという計画です。岐阜で下車し朝食を調達。クリームパンです。駅はまだ閑散としていました。駅前も見たのですが、中1の時…この最初の旅行記の時と変わっていませんでした。路面電車なんてもう…
改札を通り、そのままホームへ。半自動扱いをしていたキハ11に乗車します。
・1-5 岐阜→美濃太田 キハ11系
というわけでここから高山本線に乗車します。この区間は乗車したことがあるのですが、前回は徹夜明けで爆睡していました。今回は再乗車というよりはむしろ初乗車のようなものです。前回乗車した時は名鉄が近くを走行していたということだけを覚えていましたが、今回も車窓はそれだけですね。ところで、3両で車掌が乗務していたのですが、各駅での跨線橋の位置を把握して最も近い場所でドア扱い・集札を行っていました。結構この作業は大変だと思います。
美濃太田に到着。美濃太田と言えば須田コレクションとも呼ばれる保存車両。 
あれ・・・?保存車群は・・・? どこにあるのかわかりませんでした。太多線の次の列車の乗り場に移動すると、そのホームには岐阜に向かうキハ11が停車中。発車した後、しばらくしてからやっぱり太多線のキハ11がやってきました。
・1-6 美濃太田→多治見 キハ11系 普通
覚悟していました。ワンマン運転で、もちろんトイレはありません。太多線は愛知環状鉄道同様、愛知郊外を環状に結んでいるため放射状に延びる各線と交差…することはあありませんでした。唯一名鉄の1路線とのみ交差しました。愛知の郊外と言っても度が過ぎていました。途中の可児で、その名鉄の路線と併走。向こうは新しげなステンレス。名鉄はよくわからないのですが多分4000系か5000系です。
さて、多治見に着き、次の名古屋方面の電車で高蔵寺に向かおうとしたのですが、その列車が10分程度遅れておりました。時刻表で調べると10分遅れて高蔵寺に着いた場合なんと中津川から先の列車がありません! というわけで悔しいですが高蔵寺〜多治見のわずかな区間が未乗扱いとなりました。ああもったいない。
・1-7 多治見→中津川 211系 快速
快速と表記しても実際は各駅停車みたいなものでした。ロングシートですが広島の115系より破壊的…もとい、広島の115系よりは快適な走りです。特急列車が恒常的に走行することで線路状態がよいのが主な理由でしょうか。途中、釜戸駅で臨時しなのを退避。向こうは振り子式で重心が低いために傍らから見ると車高が低く感じました。さて、中津川に到着。地方駅ですが地下道と跨線橋がある豪勢な作りになっています。次の列車までの間に一本しなのが入り、この後の列車で塩尻まで向かいます。
・1-8 中津川→塩尻 313系 普通
313系のワンマン車それも割と新しい1300番台がきました。なんと行先は5000番台同様フルカラーLEDで車内にはLCDを2枚ずつ装備しています。広島にもこんな設備が欲しい…ちなみに優先席はオレンジの座席ではっきり言ってどぎついです。
さて、中津川を発車するとすぐに山の中に入ります。むしろ中津川だけが山の途中に町ができた感じです。いつの間にか線路も単線となり、ここから塩尻まで初乗車ながら退屈な区間に入ります。落合川、坂下、田立、南木曽、十二兼…と停車していきます。放送を収録しながら車窓を見ていたのですが、川がきれいなこと綺麗なこと…初乗車である以上起きていました。
この時点で昼ですが、乗車時間は既に6時間を超えています。空腹になってきたころに塩尻到着。何かないか探したところ、駅の中に信州そばがありました。駅そばは大変お世話になります。

・1-9 塩尻→岡谷 E127系 普通
塩尻駅にはなぜかカメラを構えた人が多くいました。私は何が来るのか知りませんでしたが、どうやらナイスホリデー木曽路で東海道線専用の313系5000番台が塩尻に来たようです。列車待ちで目撃しました。正直よくわかんない…
さて、E127系に乗車してみどり湖経由で岡谷に向かいます。塩尻発車後、しばらくして旧駅の遺構を発見。昔は地図でいう右下の部分に駅があったようで、当時はスイッチバックせずに中央西線と中央東線が直通できたようです。その遺構のあたりで旧線が分岐し、新線は複線でみどり湖へ。発車後すぐに長いトンネルに突入。抜けると岡谷の手前でした。伊予大洲〜伊予市で似たような体験をしたことがあります。岡谷に到着。次の列車に乗り込む前に後続の特急を撮影。E257系のあずさです。
・1-10 岡谷→辰野 213系 普通
この213系、飯田線に直通する列車でいわゆる辰野回りに乗車します。東海の213系はトイレがもともとついていませんでしたが、関西本線撤退時に設置され、現在は飯田線で運転されています。さてこの213系も少し遅れており、岡谷→辰野→塩尻なんてとんでもないルートを通る人なんて恐らくいないため、辰野で接続するのか少し不安でしたが、きちんと接続してくれました。相手はE127系、つい先日まではJR東日本唯一の123系が運転されていた区間です。
・1-11 辰野→塩尻 E127系 普通
E127系で、2両運転ですが、乗客は1両にしたとしても少ないほどでした。それが123系が唯一生き残ってきた理由の一つでもありそうです。さて、塩尻に再び到着。次はせっかくなので、はまかいじに乗ります。乗車することは目的ではないのですが、下諏訪で時間が欲しいので乗車します。ちなみに、この区間で高台から盆地の塩尻まで降りてきたのですが、そこで旧塩尻駅を通過。
・1-12 塩尻→下諏訪 185系 はまかいじ
折角なので特急に乗ります…下諏訪まで。ここで諏訪に来たので、下諏訪の諏訪大社の下社秋宮に行ってきました。観光?いえ、聖地巡礼です() 全部で猶予時間は45分程度でしたが、神社まで上り坂があり、結構辛かったものです。地図上では上り坂なんてわからないですからね… 次は春宮にも行きたいものです。あと上社にも…
・1-13 下諏訪→小淵沢 115系 普通

下諏訪の駅には御柱がありました。でっかいです。次の御柱祭りは見に行きたいなあ…
さて、来た列車は案の定115系の長野色。広島と大差ないのですが疲れがたまり、爆睡。気が付けば小淵沢少し前でした。
小淵沢には小海線の乗換駅ということもあり、ハイブリッドのキハE200がいるのではないかと期待していましたが、結果はキハ110でした。ちなみに行程には何の関係もありません。小海線に乗車はしません。
・1-14 小淵沢→甲府 115系 普通
引き続き中央本線に乗り換えました。今度は長野色ではなく、いわゆる山スカ色で、クリームと紺色の奴です。車内を見てみると、ドアの横の座席には衝立がついていました。広島にも衝立がついた車両を下さい。初乗車の区間ですが、先ほどと同様、疲れていたのでもちろん寝ていました。…もったいないです。はい。
・1-15 甲府→高尾 115系 普通
気が付いたら甲府でした。しかも今回はさらにひどく起きた時点ですでに甲府についていました。乗り換える際に、着席戦争に敗北。立つことになりました。車窓を見てみると、なんとまあ、あの勝沼ですね。絶景の。で、その勝沼駅ですが、もともとはスイッチバック駅だったので下の方に旧ホームがありました。あとEF64の保存車両もありました。そしてスイッチバック駅を普通の駅にしたのか、上りホームと下りホームで10cm程度高さの差がある駅というのも多くありました。もともとの通過線に駅を無理矢理配置した結果…ですね。さて、あたりも暗くなり高尾到着。やっと首都圏の新車に乗車できます。
・1-16 高尾→八王子 E233系 中央特快
中央特快で新宿というのもよかったのですが、面白くないので八王子で下車。駅前を出て右前に歩きます…そうですね。京王八王子に到着。先発の普通に乗るか次発の特急に乗るか考えましたが、結局特急に、あとから見るとこの先発の普通も北野で優等に接続していたのですね。つまり先に出る列車の方が早い・・・と
・1-17 京王八王子→新宿 京王7000系 特急
特急です。周りは真っ暗だったので特にすることもなく、地下化になった調布駅も普通に見ていました。ちなみに京王自体が初乗車です。新宿までは調布で相模原線待ち合わせをした以外は飛ばして駅を通過して新宿に着きました。新宿到着前、かねてから気になっていた幡ヶ谷と初台の旧駅を確認。それらしい跡地がありました。今では新線に両駅は設置されています。新宿に到着。とりあえず夕飯を取ります。
・1-18 新宿→原宿 E231系 内回り
新宿駅をひととおり回ったのですが、二郎など安くて量のある店が無かったので(仕方ないと言えば仕方ないですが)、そして駅の中で迷子になってしまったので山手線に乗車して駅前にそれっぽいものがある駅で降りることにしました。原宿の駅前に吉野家があったので原宿で下車。こういうの助かるんです本当。
・1-19 原宿→新宿 E231系 外回り
戻ります。乗車ホームの向かい側には臨時ホームがありました。正月には使われるようです。
・1-20 新宿→新宿三丁目 02系 普通
相互直通がされた副都心線系統と東横線、それを確認しに新宿三丁目へと行きました。ここで乗車した02系は車内にLCDがついている更新車でした。結果、ヒカリエこそ来ませんでしたが東急の5050系4000番台は2本も来ました。他は7000系でした。なんというか、もうちょっと東武や西武の車両が来てもいいのに…ひどい。
・1-21 新宿三丁目→新宿 02系 普通
戻るだけです。こちらの02系はマップ式の路線案内でした。銀座線のこれはなじみがありますが、丸ノ内線のこれにはなかなか縁がありません。
新宿に到着するとちょうど神宮球場でカープの試合が終わったのか18(MAEDA)や6(SOYOGI)との背番号がちらほら。カープです。ちなみに試合には勝ったようです。やったね。
埼京線ホームに移動してみると、ちょうど最新鋭のE233が来ていました。今となっては多いE233ですが、この時はまだ数本。しかも目撃編成は総合車両製作所の122編成でした。その後、最早代々木駅の方が近いかもしれない5・6番ホームへ。そしてしばらくして485系がやってきました。今夜の宿です。
・1-22 新宿→新潟 485系 快速「ムーンライトえちご」
今宵の宿は最後尾、半室グリーン車すぐ近くの席です。18きっぷではえちごのグリーン車には乗車できませんがそれでもちらほらと人がいました。普通の切符で帰省?でしょうか。
発車してもすぐに検札はありませんでした。一応最後尾ですぐにでも検札が来れるはずですが… 大宮到着前、ようやく検札がきました。大宮発車後は覚えていません。多分長岡で一度起き、今度は新津を過ぎたころに起きました。

2日目

・2-1 新潟→村上 E127系 快速
新潟にえちごで到着し、東北方面へと接続する列車です。朝5時台に発車します。えちごの到着が仮設ホームの9番線で、最後尾だったために約6両ほどあるく結果となりました。列車はE127系の6両編成。2両が3つ連なっていました。
新潟を出ると白新線内は流石新潟県、米どころだけあって一面田畑でした。この景色、これから似たようなものをずっと見ることになるとは…この時はまだ思っていませんでした。 終点の村上では縦列停車のため駅手前で停車をし、その後超徐行で入線し、そのまま前にいるキハ40に乗り換えました。
・2-2 村上→酒田 キハ40系 普通
乗車列車は厳密にいうとキハ47でした。そのキハ47は旧新潟色と新新潟色の混結で、西のキハ40とは異なり窓が従来のままでした。これはこれで懐かしいのですが、いかんせん古臭いです。ちなみに海岸線を走ったみたいです。他人事なのはもちろん、寝ていたからです。はい、デッドセクションぐらいは記憶に残っています。気動車の為に消灯などはありませんが…
酒田に到着。なんと485系のT18編成がいました。先頭車が4灯ライトの1500番台で、もともと北海道仕様の車両でした。これが見たかった!
弁当を調達し駅前を散策。何もありません。そのため戻ってきてそのままホーム端の切欠きホームへ。弁当を食べた後列車に乗車します。
・2-3 酒田→新庄 キハ110系 普通
今度は陸羽西線で余目を経由し新庄へ向います。先ほどの列車から余目で乗り換えをすると1時間早く新庄に着くことが出来ますが、それでも新庄から先のルートがつながらないため余目よりは何かがあるであろう酒田で時間調整をすることになっていました。新庄へと向かう途中、川に沿って走りましたが、その川が濁流…恐らく数日前に雨が降ったのでしょう。最上川ですよ、天下の。
新庄では駅舎がそれなりに豪華で、駅隣接の休憩場のような場所で休憩。駅前を歩いてみると…さびれていました。そして改札に入り新幹線を撮影。ちなみにE3系にはまだ乗車したことがありません。
・2-4 新庄→秋田 701系 普通
さてさて、ここでようやく東北の主役、701系が登場します。この701系は秋田色で、既にVVVFは更新されていました。新庄からはかなりの長丁場で、新幹線も走らないので半分放心状態で車窓を見ていたのですが、やはり米、米、田畑…長時間停車をした横手を過ぎてふと隣の人を見ると切符が横手→中庄(岡山県)なんですよね。券面を見る限りだと大曲から新幹線を乗り継いで岡山まで向かうようです。大変ですねえ…
大曲からは三線軌条区間となり、隣には秋田新幹線の標準軌がありました。途中のいくつかの駅で新幹線の標準軌がこちらの狭軌線に移ります。秋田到着前、E6を見ました。凄いフォルムです。320キロで新幹線区間を走るとはいえ、在来線区間では間違いなく浮きます。秋田到着、さて、次の列車は既にホームに停車していました。
・2-5 秋田→青森 HB-E300系 快速「リゾートしらかみ」
さて、ここから青森までずっとリゾートしらかみに乗車します。これまた長丁場です。観光列車ということで、椅子は通路に比べて若干高く配置されており、また編成の前後にはフリースペースの展望台があります。運よく…というかハイブリッドの新車を狙ったので、もちろん加速時は初めは電車のVVVF音がします。そののちにようやくエンジンがかかって加速していきます。小海線よりも先にこっちに乗ってしまう形になりました。東能代では折り返し停車中、待合室へ。なんと中にはキハ58の運転台を使った何かがありました。
五能線を軽快に進み、途中景色のいいところでは徐行運転をします(西日本では普通の列車でもしていますが…) 白神山地の最寄、十二湖や駅横に何かの施設があるウェスパ椿山などを進み、深浦では対向のしらかみ「ぶな」とすれ違います。深浦を過ぎ、、かつてSLが脱線転覆した場所を通過します。慰霊碑があり、すぐそばまで海岸線が近づいていました。席に戻り、しばらく意識が消えると、窓の外にはリンゴ園、なんと陸奥森田の手前でした(爆)
一度弘前へと行き、折り返して青森へと向かいます。浪岡ではこの当時臨時化が発表された「あけぼの」とすれ違い、そして新青森、なんとタルゴさんがいました。この日はこの後訪問する函館で港祭りがあったようで、函館市電の区間運転便が多数運転されていたとのことです。
そして青森へ。この日はねぶた祭があり、駅構内それも1つしかない跨線橋は大混雑でした。また各種臨時列車も運転されていました。駅近くの店で弁当を調達し、6番乗り場へと移動します。
・2-6 青森→函館 789系 特急「スーパー白鳥」
いよいよ渡道します。ねぶたエクスプレスを除くとこれが最終列車で、逃すと次ははまなす、函館到着が1時になってしまいます。新青森から来た列車は8両でした。
乗車して、発車。外は真っ暗で何も見えません。1両には数人だけが乗車していました。まずは一番後ろへ、背面展望は出来ると思ったのですが、こちらもロープがされており、結局中間の先頭車しか確認できませんでした。蟹田を出て、しばらくして車内LEDと音で青函トンネルに入ったことが発覚。きちんと最深部では青と緑のランプを確認しました。トワイライトで通った時は確認しそびれましたからね。トンネルを抜けてもやはり外は真っ暗。函館に到着し、ようやく渡道したことを実感します。やったぜ。…というか、この日は長距離列車が多すぎて結局6列車しか乗っていないことになりますね。

3日目

・3-1 松風町→函館駅前 8000形 
おはようございます。、え〜現在私は函館は松風町にいるわけですが、それで、一日に1本あるかないかの函館駅前行きに乗りたいんですよね。というわけで朝市に近い駅前のホテルから前日の港祭りの後片付けの姿を見つつ、函館駅前の隣の松風町まで歩き、そこから函館駅前まで市電に乗りました。1駅区間で、8000形の8010号、この当時もっとも新しい車両に乗車しました。
・3-2 函館駅前→函館どつく前 710形 

8010号の折り返しを見物し、そのまま函館駅前で次の電車を待ちます。乗車電車は710形。広電の600形みたいに車体端が絞られています。函館らしい、港町と坂、そして古い建物の風景を進み、まずは終点の函館どつく前、どっくと読みますが、どっくと書かれてはなく本当にどつくと表記されています。
・3-3 函館どつく前→十字街 710形

引き続き同じ車両で折り返しです。今度は谷地頭へと行くため十字街で下車しました。十字街駅前の交番にはトイレをお借りしました。ありがとうございました。その交番も含め、周りの建物は結構古い様子でした。十字街には信号塔が残っていました。活用しているかどうかは…おそらく活用していないでしょう。
・3-4 十字街→谷地頭 3000形

ここで3000形です。なんと東洋GTOのVVVFを採用しており広電ぐりーんらいなー3800形〜3950形と同じ音がします。ぎりぎり軽快電車世代の僕にとってこれほど離れた地でこの音を聴けるとは感慨ものでした。加速にはVVVFを使用しているようでしたが、減速には回生ブレーキを使用せず、空気ブレーキ?で止めているようでした。途中、谷地頭へ向かう最中に右にカーブするところがありましたが、なんと目の前に延びる道路は海。函館の地理感覚を思い出せず、今となってはどの位置からどういうふうに見たのかがわかりますがこの時はわかりませんでした。谷地頭はいわゆる函館山の下にありました。
・3-5 谷地頭→湯の川 3000形

というわけで谷地頭について折り返してそのまま湯の川へと向かいます。運賃は区間制で整理券にはバーコードがついており、運賃箱で読み取るようです。ハイテクです…しかし私は前日にタルゴさんから頂いた1日券を使用しました。便利でした。 函館駅前と松風町、五稜郭公園と電車はカーブしますが、この3電停は全てかつて分岐路線がありました。今となってはY字の路線ですが、かつては環状線など様々な路線がありました。熊本や札幌と似たものを感じます…
さて、車庫のある駒場車庫前を過ぎていったん湯の川へ。これまた同じ車両で折り返します。
・3-6 湯の川→駒場車庫前 3000形

というわけで、折角なので(超低床車が動いていない時間なので)低床車を見に車庫までやってきました。2000形や500形、9600形に8100形など、さまざまな車両がいます…しばらく撮影し、函館市電8000形の模型を買います。これは旅行が終わってから組み立てることにします。
突然轟音が響き、すぐ上を飛行機が通過。駒場車庫や湯の川は結構函館空港に近く、着陸のために飛行機は低空を飛行しているようです。
さて、そろそろ列車の時刻なので撮影を切り上げ、超低床車のダイヤで函館駅前へ。来た車両は…!
・3-7 駒場車庫前→函館駅前 8100形

なんと部分低床車の8100形!日本で唯一、車体更新で車いす対応を果たした車両です。もちろん8000形の仲間のため、冷房はありません。超低床で非冷房というアンバランス、なかなかでしょ? 広島ではなかなか味わえない窓全開を味わいました。これでも車内にはLCDがついており、なかなかのハイテク。車内に段差があるためか、運賃支払い時の車内移動に難ありで、これが増備が中止された理由でした。完全超低床の9600形に増備が移行されてしまいました。
函館駅前に戻り、今度はJRの列車を待ちます。この日の、そしてこの旅行での目当て、江差線です。
・3-8 函館→江差 キハ40系

さて、廃止が決定してしまった江差線に乗車します。2両編成で、この日はえさし号が運転されていたため、乗車目当ての人が大多数でした。五稜郭では運用停止になったキハ183が多数留置、そして七重浜から木古内までの区間は各駅で乗降がありました。それでも前乗前降のために時間がかかります。木古内までは特急に抜かれることもなく、木古内での長時間停車で特急に追い抜かれる形となりました。木古内では長時間停車中に駅前及び駅構内を散策。駅北にはもう新幹線の駅が建設されていました。新幹線が開業するころには現在の駅舎は見れなくなってしまうのでしょうか… 
木古内長時間停車の後、いよいよ廃止区間に入ります。海峡線、そして廃止となった松前線の路盤から離れ、まだ海峡線が見えるあたりで最初の停車駅、渡島鶴岡です。見たところ乗降客は木古内までと比べてぐっと減りました。列車は進むにつれ、山の中へと入っていきます。湯ノ岱ではなかなか見られないタブレット交換をします。その後、駅間では天の川駅という駅のようなオブジェの横を通過。じっくり見れなかったので帰りに凝視?することにします。この車両も非冷房だったため、窓を開けて風をたしなみます。北海道らしい独特の風景(道路上の雪かき用矢印、巨大な畑)を見ながら、車窓にふけます。北海道で至福の空間です。
さて、上ノ国から終点の江差までは海岸線を走り、最後に江差の市街地を高架で通過し、ようやく終点の江差。木古内や函館からここまで乗車した人はかなりいました。そして彼らの大多数は廃止惜別切符を購入…私も買いました。名残惜しいですが到着した列車でそのまま折り返して木古内へと向かいます。
・3-9 江差→木古内 キハ40系

折り返しはただただボーっとして車窓を眺めます。行きに見れなかった天の川駅をしっかりと確認。湯ノ岱では臨時の「えさし号」を目撃しました。本来ならキハ183系のお座敷車両が使用され、乗車する予定でしたが、車両が変更になったためにあえなく断念しました。木古内で下車し、次のスーパー白鳥で北海道をもう離れます。
・3-10 木古内→青森 789系 スーパー白鳥

さようなら北海道。次に来るのはまたしばらく先だ・・・!
で青函トンネルを抜けた先、本州の奥内信号場では北斗星と交換しました。なぜにこんな時間で…?と思いましたが、なんと東北地方で大雨が降った影響で大幅な遅れがあった模様です。これから東北に行くのに大丈夫だろうか… 青森では、北海道方面へのスーパー白鳥に785系の改造車が充当されていました。いつみてもキモいデザインです。それを撮影するために隣のホームへ移動。よりによって785系は最後尾に連結されており、かつ青森は最前部にしか跨線橋が無いため、次の乗車列車に間に合うために8両分のホームを走ることとなりました…


・3-11 青森→大湊 キハ110系 快速しもきた

このまま宿泊地盛岡に行くと面白くないので大湊に寄ります。この青森〜野辺地〜八戸の区間は青い森鉄道管轄ですが、特例で18きっぷで通過利用ができます。今回はこれをありがたく享受し野辺地から分岐する大湊まで行きます。さて、東北本線内では快速列車として運転されるのですが、このキハ110、陸羽西線に乗った時とはまるで別物のようにかなりの加速・最高速で走りました。野辺地で進行方向が変わり大湊へと向かいます。大湊までは直線で突き進むような感じでまるで北海道のローカル線。沿線の撮影ポイントで撮影された画像を見ても、やっぱり北海道。下北まで進み、下北交通の廃線跡を探そうとするも、再開発されており断念。終点の大湊よりも下北の方がにぎわっていました。
・3-12 大湊→野辺地 キハ110系

大湊では駅を撮影し、同じ列車に乗って野辺地まで折り返します。クロスシートが空いていましたが、なんとなくロングシートへ。こちら方が好きなんです。
野辺地で夕食をとろうとしたのですが、時間が時間だったために、また田舎だったために駅構内どころか近隣の店すらほとんどしまっていました。この日は昼飯も食べていないためになんとか自販機のアイスクリームで夕食までをしのぐことになりました。辛いです…
・3-13 野辺地→八戸 青い森701系

暫く待ちようやく701系がやってきました。青い森仕様でマスコットのモーリーがたくさん描かれています。夜間の運転で、かつ車内は明るいため、いくら半自動ドアと言えども車内にどんどん虫が入ってきました。所によっては市街地では見られない、とてつもない大きさの奴もいました。内心ビビりながら八戸へ到着。
・3-14 八戸→盛岡 E5系 はやて

IGRと青い森鉄道を使って盛岡に行くのが当初の予定でしたが、空腹だったため、また料金にほとんど差が無いとの理由で新幹線を利用しました。そしてE5系がやってきました。車内に入っても空腹が無くなることは無く、車窓も単調だったため、備え付けの雑誌をずっと読んでいました。もしこれが雑誌の無い東海道・山陽新幹線だったら大変だったことでしょう。普通車にも雑誌があって気を紛らわすのに助かりました。盛岡に到着し、駅前へ。なんと松屋があったのですぐに夕食をとりました。助かりました。今日はここで宿泊。宿泊地は駅から徒歩10分程度でした。

4日目

始発列車に乗車するためにかなり朝早くに起床します。5時前でしょうか。あたりは真っ暗です。
・4-1 盛岡→一ノ関 701系

盛岡色の701系でした。車窓は全く覚えておりません。
・4-2 一ノ関→岩切 719系

一ノ関で乗り換えたこともあいまいで気が付いたら岩切手前、また車両も変わっていました。…あれ?
・4-3 岩切→利府 719系

ここでホームを変えて利府へ向かいます。やってきたのは719系。また719系です。岩切〜新利府は新幹線の車両基地のすぐそばを走るということでここではまともに車窓を見ていました。イーストアイとE3系R1編成は初めて見ました。6両で割と乗っていたのですが、大多数が新利府で降りてしまいました。新利府は車両基地の最寄、従業員専用の駅と化していますね。普通の改札の他に鶴見線の駅のような工場用改札がありました。
・4-4 利府→仙台 719系

利府で折り返し、仙台へと向かいます。通勤時間帯ということもあり、岩切からの各駅では乗車が多数。ほとんど全員が仙台で下車しました。私もです。仙台では仙台空港線アクセス線のSAT721系を撮影。時間は少しあるので仙石線ホームへと移動します。

・4-5 仙台→あおば通 205系
仙石線に1区間だけ乗車します。205系で、地下ホームでしたがなんとドアは半自動。地下ホームで半自動とはなかなか聞いたことがありません。あおば通まで僅かな区間を乗車。こうしておくことで今後の乗りつぶしに優位?に働くはずです。
・4-6 あおば通→仙台 205系

あおば通では片方の線路に列車が到着するとすぐに反対の列車が発車するので、その反対の列車に乗ることはせず、同じ車両で戻ることとなります。仙台に戻り、しばらく駅前にいたのですがこの時期は七夕なんですね。秋田の竿灯 青森のねぶた 仙台の七夕と、東北の3大祭りの時期に行ったのでそれらしい装飾などをいたるところで確認しました。
・4-7 仙台→白石 701系

そろそろE721系が来てほしい所で、実際の所電車自体は来ているのですが、乗車する列車には701系が充当されていました。VVVFも更新されておりなんとなく物足りません。この辺りは前に一度乗車したことがありましたが、今回は阿武隈急行の車両は見えませんでした。
新幹線の下を通り、白石へ。新幹線の白石蔵王とは少し離れており、白石からは見えません。向かいのホームの列車に乗り換え。701系です。
・4-8 白石→福島 701系

ワンマン列車になるほどの区間になりました。白石を発車し、新幹線の高架をくぐる際に白石蔵王駅を確認。2年前にもこんなことをやりました。もともと新幹線で1駅の区間なので長くはありません。ワンマンで、青い森の701系についていたLCDではなく、普通のLED運賃表でした。
東福島ではなんと海峡線用の新型機関車EH800を目撃!ただ、写真は無理でした。ここでも阿武隈急行や福島交通の車両が見れないか内心期待していましたが、そんなこともなく結局福島に到着。福島でも対面乗り換え。このあたり便利です。
・4-9 福島→郡山 701系
どこまでも701系です。福島を出てしばらくすると、上下線分離の区間がありました。駅になると同じ場所に戻り、そして駅を発車すると再び上下線を分離するという構造で、それもちょっとではなくかなり離れてしまうというものでした。複線化用地が確保できなかったのですかね?
郡山では次の磐越線まで駅ナカで昼食を調達。485系の会津ライナーなら快適に会津若松まで移動できるのですが、そんなものは来るはずがありません。案の定719系でした。それでも他の線区とは異なり赤と黒のいわゆるあかべぇカラーです。
・4-10 郡山→会津若松 719系
ここから初乗車の磐越西線で会津若松へ。発車してしばらくは面白みのない車窓でしたが、しばらくするとなんと右側に磐梯山が現れました!すばらしいほどきれいな山でした。磐梯山といえば、会津磐梯山…の歌もありますが、私としては山体崩壊のイメージが強いです。
途中磐梯熱海などでは引き込み線などの跡地があり、かつての栄光?を物語っていました。そして会津若松到着。駅に設置されているライブカメラに手を振ります。バカです。駅構内には会津鉄道AT750やSLばんえつ物語号の改造グリーン車などが停車していました。また、駅前左手には旧貨物駅のような建築物が見えました。鹿児島駅にもこのような施設があった気がします。
水分を補給し、次の列車を待ちます。キハE120系列には乗ったことが無いので乗ってみたいのですが…果たして来た車両は…!?

・4-9 会津若松→新津 キハ40系
キハ40でした。なんでや。
西の車両と比べてメリットはドアブザーがあることと折り畳み座席があること…乗り心地に関しては西の車と同じで、これで新津まで耐久というのは…勘弁してください。列車は2両、ツーマンで喜多方までは快速として運転し、そこからは各駅停車で運転されました。この日の数日前、つまり函館のあたりでちょっと書いたのですが、大雨が降っていたようです。眼下に見える川(阿賀野川?)は恐ろしいほどの濁流で、同じく眼下に見える国道は雨のせいなのかそうでないのかはともかくなんとまあ通行止め。これでは国道ではなく酷道になってしまってますな。
狐の嫁入りのイラストが描かれた駅名表がある津川では若干の停車。SLの給水タンクと灰ピットがありました。五泉あたりからは通学利用に乗ってきました。神原鉄道の写真が駅舎に架かっているのも確認。恐らく残っていたら磐越西線よりこっちを優先していてどこかへ抜け道利用をしていたと思います。
そして新津着。新津総合車両所は見えませんでしたが、ここはあきらめてこのまま西へと進みます。
・4-10 新津→直江津 485系 快速くびき野
18きっぱー御用達の乗り得列車。くびき野です。485系が使用されMLえちごと同等の快適が保障されます。おやすみなさい… デッキ近くだったため。脚を広げることが出来ませんでした。そして起きるとすぐに青海川を通過。あの駅です。海に近いという。中越沖地震で一時は土砂崩れが起きて大変なことになったようです。直江津からこの列車は信越本線に進んでしまうため、直江津で乗り換え、ここからJR西日本の区間へと入ります。やっと西の区間です。
・4-11 直江津→富山 457系
相変わらず北陸の国鉄急行形の形式はよくわからないもので、451なのか455なのか457なのか475なのかさっぱりわかりません。とりあえず2ドアだったので457系とします。直江津を出る頃にはまだ若干暗い程度でしたが、筒石近くになると最早車外は真っ暗でした。それは長いトンネルのためでした。ですが、本当にトンネルを出ても真っ暗でした。
糸魚川近くになり、デッドセクションを通過するのですが、補助灯がついていても電気が落ちるためかなり暗くなってしまいました。三セクに移管されてしまうとこの区間は気動車になってしまうことが濃厚のため、もうこのような光景は見られなくなってしまいます。この時間でも特急はくたかに追い抜かれ、地鉄が平行する区間を走行して、廃墟ともいわれる電鉄魚津(現在は解体完了)を確認。地鉄に並行して富山へと到着します。富山駅北では、あの鉄道むすめのスタンプラリーが企画されているときでしたのでその広告がありました。実は、私はこの旅行で八戸(青い森鉄道)と函館(函館市電)でスタンプを押しています。それだけです。
そして「私が社長です」で有名なアパホテルに荷物を置き、ガードをくぐって向こう側へ…
・4-12 地鉄ビル前→南富山駅前 地鉄デ7000形
やってきました地鉄市内線。環状線は既に乗車していましたが、大学前までの区間と南富山までの区間に乗車できていなかったので乗車することにします。
まずは南富山へ。数の少ない8000形ではなくやはり主力の7000形がきました。路面電車の感覚としては広電に似ていますが、旧車にもLED文字広告がついており、これからも使用することを知らされました…一応毎年毎年置き換えていくようですが…
南富山駅前に到着。この時期に運転されていた8000形の花電車や市内線の低床車は既に車庫の中にいるようでした。
・4-13 南富山駅前→大学前 地鉄デ7000形
そのまま同じ列車に乗って折り返し、大学前まで向かいます。乗客は空席が目立つ程度。丸の内までは乗車したことがあるのでふらりと進み、そこから右に曲がり大学前の方へ。神通川を富山大橋で渡り、かつて射水線が分岐していた新富山。ちなみに富山大橋はだいぶ前に架け替えられて複線になったそうです。大学前に到着。電停はバリアフリー化されていましたが、歩道橋でしかアクセスできないためまだ完全にバリアフリーとは言えません。
・4-14 大学前→富山駅前 地鉄デ7000形
三度同じ列車に乗車。3回乗車することで600円、一日乗車券と同じ値段ですが、こんな夜遅くに一日乗車券を買うのも気が引けるので、いや、間違いなく変人認定されてしまうのでためらいました。今思えば、記録目的で一日券を買ってもよかったかなぁ… 富山駅前で下車。食料を調達し、宿に戻り就寝。次の日、広島に帰るため、そして寄り道を2回するために始発に乗車する必要があるからです。

5日目

・5-1 富山→高岡 413系
おはようございます。始発列車に乗るために早朝からホテルを出て、富山駅に到着。前日は夜だったために新幹線の工事の進捗具合がよくわかりませんでしたが明るくなってはっきりわかるようになりました。次に富山に来るときはまた景色が変わっているかもしれませんね。もしかすると在来線が三セクになっていたり、在来線も高架になっていたり、地鉄とライトレールがつながってたりして…さて、ちょっと早すぎたのですが、高山本線色のキハ120の謎の回送があり、その後の413系に乗車。半分寝ている状態で呉羽、小杉、越中大門とすぎて高岡へ。そして高岡到着。前に乗り換えで来たときは橋上駅化こそは完了していましたが駅舎はそのままでした。しかし今回はもうすでに旧駅舎は無くなっていました。
・5-2 高岡駅前→越ノ潟 MLRV1000形
ここで万葉線に乗車します。旧加越能鉄道を三セク化した路線です。この路線、乗車した当時は駅前発着でしたが、高岡駅の新駅舎が完成した現在は駅の中にまで乗り入れます。富山と言い高岡と言い路面電車に対する素晴らしい扱いです。広島もこれぐらいとんとんと進めばいいのに…
万葉線はほとんどの区間が単線で、また電停も安全地帯が無いものが多くありました。専用軌道に入っても速度はゆったり、途中のとある橋ではドア下部まで窓ガラスがあるのに加えて手すりが無かったため、途中止まったらどうなるのかと恐怖心もありました。越ノ潟に近づくにつれ、巨大なコンクリートの構造物が出現。そして越ノ潟。その構造物は新港大橋で、県営渡船の代替として建設されたようです。しかしなぜかその県営渡船も生きていました。暫定措置ですかね?
・5-3 越ノ潟→高岡駅前 MLRV1000形
折り返しで乗車。車内は夏休みといえども平日の朝ということで高校生が多く乗車しました。よそ者感がします…事実ですが。 米島口の車庫にドラえもんトラムがいました。また万葉線の車内放送は土日に限って落語家の立川志の輔さんの声で漫談口調で放送されるそうです。この日は平日で普通の放送でした。
高岡に到着。おはようエクスプレスを見送り、駅構内でこんなところで売っていたマックスコーヒーを購入、普通列車に乗り込みます。
・5-4 高岡→金沢 455系
2ドアの奴です。多分455系です。一番前のデッキでマックスコーヒーを飲みます。うん、おいしい。 ところで、この高岡から金沢、路線図で見るよりも存外長いんですよね。倶利伽羅峠のあたりの駅間が長いのでそのせい?ですかね。津端を過ぎ、かつては419系を車庫に見ながら金沢に到着していたのですが、その419系はなくなっていました。金沢の到着ホームは4番線。つまり行き止まりホームで、次の列車は隣のホームだったもののかなり歩くことになりました、なぜなら…
・5-5 金沢→小松 683系 特急しらさぎ
特急の自由席に乗るからです。このしらさぎは8両編成で、金沢到着時は一番後ろの方にいましたが、自由席は一番前なんですね。そのために8両分歩く結果になりました。そして小松までの1区間で乗車。左手には北陸新幹線の高架と車庫が見えました。ちなみに、おはようエクスプレスで高岡から金沢へと移動し、そこから普通で福井に向かう方法と、高岡から金沢まで普通で移動し、特急で金沢〜小松をワープ、小松から再び普通に乗るという方法は、ともに到着時間は同じですが、料金の面で後者が優れていたために、こちらを採用しました。つまり高岡〜金沢は金沢〜小松よりも長いのです。
小松到着。次の列車を待っている間サンダーバードが凄い高速で通過していきました…
・5-6 小松→福井 521系
北陸本線、金沢以西の主役となった521系です。なんと4両運転で、車掌もついているという豪華さでした。前にこの区間に乗車した時、521系の製造初年度の編成に乗車したのですが、今回はその編成に乗車。つまり521系の中では当時割と新しい編成に乗車しました。
途中には動橋と大聖寺、そして加賀温泉の駅がありました。この駅には有名なエピソードがあり、動橋と大聖寺で特急の誘致争いをしていたら間の駅を加賀温泉として全部もっていかれたという話です。漁夫の利ともとれますが、その影響もあって北陸鉄道の路線まで廃止されてしまいました。今、動橋と大聖寺は小駅になり、加賀温泉はかなり大きな駅になっています。えちぜん鉄道の車庫を見て、高架駅、そしてその気になれば新幹線も受け入れ出来る福井に到着。改札を出ます。
・5-7 福井駅前→田原町 福鉄880形
さて、というわけで福鉄に初乗車です!金沢で北陸鉄道に乗車、もしくは福井でえちぜん鉄道という選択肢もありましたが、元名鉄軌道線の車両が見たいと思って結局福井鉄道に落ち着きました。高架化されたJR駅から少し離れたところの電停で乗車。乗車したのは880形で、まあ、順当なところ。しかもこの車両はコカコーラのラッピング車で、そのまま名鉄の色のようでした!単線のヒゲ線に乗車し、市役所前へ、そのまま田原町へと向かいます。田原町では、えちぜん鉄道の車両を見るため、また次の列車に乗ってみたかったのでこのコカコーラ車に折り返して乗車するのは見送りました。ちなみにこの日、超低床のF1000形は定期運休です。
・5-8 田原町→越前武生 福鉄880形
福鉄カラーの880形が来ました。770形でもよかったのですが、数が多いので仕方ありません。もちろん880形が嫌いという訳ではなく、別の形式にものりたかったというわけです。田原町を発車し、そのまま越前武生に行くのではなく、いったん福井駅前に寄り道をします。いざこざのあるヒゲ線ですね。大通りは地下駐車場へのスロープの為に路面電車がしけないそうです。福井駅前で折り返し、再び市役所前へ。折り返して越前武生へ。路面区間はすぐに終わり、赤十字前…かつての福井新の手前から専用軌道にはいります。専用軌道では、ポイントは大雪でも転換するようにスノーシェルターに覆われており、広島ではなかなか見られない代物。宮島線にも通じる専用軌道を走り、北府に到着。定期検査のF1000を見ました。さらに800形や610形まで…無念です… そして越前武生到着。200形が停車していました。
・5-9 武生→敦賀 521系
武生では少し歩き、と言っても充分歩ける距離ですが、JRの武生駅へ移動。そしてこの列車で北陸から出ることとなります。さらば。敦賀までめぼしいものはありませんでした。北陸トンネルの交直変換もあまり気にはしませんでした… 敦賀ではそばを食べ、このあとの長距離列車2本に備えます。もうあとは帰るだけです。
・5-10 敦賀→姫路 223系 新快速
やってきました新快速。姫路まで長距離の乗車をします。敦賀から近江今津までは4両で、新疋田のループ線もしっかりと体感。一度トンネルに入り、出たところには何と小浜線が走っていました。そのままトンネルに入り、出てくると今度はまるで右側通行。そして元の位置に戻って新疋田に着きました。近江今津で前に8両つないでいる間、前の8両へ移動。前面展望をここからは楽しむことにしました。京都へ近づくにつれて乗客は増え、京都ではもう立ち席が出るほど。いくら12両で湖西線から来たと言えども、京阪神区間では新快速の一本に過ぎないので仕方ありません。前面展望を楽しみ、いつも通りの帰宅列車になってしまいました。
・5-11 姫路→相生 223系
ここで豆知識、姫路を出て右側に構えておくと相生までドアは空かないので相生ダッシュに有利になります。使えるかどうかは別として。そして相生ではいつも通りの広島行きが待っていました。帰ります。
・5-12 相生→広島 115系
なんと緊急地震速報があったようで、和歌山県で震度7、ここは兵庫県であり少なくとも震度4程度は揺れるだろう…と思っていてもなかなか揺れませんでした。そもそも車両自体電気がついており、架線の電源も落ちていません… Twitterで調べてみたところ、誤報…というか誤作動でした。まあ、よかったものです。
10分程度遅れて相生を発車。この最後の列車では意図的に寝ることにしています。4時間は辛いので…
さて、目を覚ますと岡山発車後。中庄では伯備線が名やらかしたらしく、伯備線の電車が止まっており、それを追い抜いて発車しました。また眠ることにし、次は西条手前。なんとも駅舎がずいぶん進捗していました。そしていつも通りの風景を見て広島。これにて全行程が終了しました。疲れた…

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